コラム

「偏見」は人生をつまらなくさせる

世の中には“インフルエンサー”と呼ばれる、大きな影響力を生み出す人がいる。

彼らの中には大衆の共感を誘う発言に添えて、まるでそれが絶対的な真理であるかのような、独自の考えを発信する者も。

これが拡散されると、多くの熱狂的で信仰深いファンを作り出す。
実に見事な手腕だと思うし、無名の頃から地道な努力を積み重ねてきた、まさしく努力の賜物といえよう。

一方、この異様な光景は古来より昔、それが当たり前のことだった、神への信仰に近いものを感じるときがある。
まるで、デルフォイの神殿で神託を授かる、古代ギリシャ人たちを彷彿とさせるようだ。

インフルエンサーの発言が、デルフォイの神託であり、フォロワーやファンの人たちが、熱心な神論者である。

ただ、発信している情報が、道徳的に真の有益とする人も多い。
中には目から鱗ともいえる、斬新なアイディアがあったりするかもしれない。

SNSでフォローしている人たちが、何か社会的な問題や時事に触れたとき、人は自分なりの考えを持って、彼らの発言を受け止めているだろうか。

多くの人たちは、道徳的に最もらしい発言だと感じれば、「間違いない」と感じて思考をやめる。
結果的に、目の前の問題に対して自分自身で思考せず、誰かが発信した意見を自分の物にしてしまうのである。

その方が遥かに楽ではあるし、自分への反対意見や、心無い言葉の暴力で傷つくリスクもない。

人は誰しも不快な思いはしたくないし、傷つきたくないのだ。
だが、これらの行動は如何なものか。

あなた自身の物事の考え方は、いつかあなたが支持している者たちの考え方に置き換わってはいないか。

SNSでよく見受けられるのは、大多数の人間が面白おかしく政治や事件を批判している流れに乗っかることだ。

同調圧力がそうさせるのか、自己の判断力が低下しているのか、恐らくはそのどちらも当てはまるだろう。

きっとこの集まりに参加する理由の大多数は「盛り上がっているから」「何となく」「面白そう」という、悪意なきものである。

このときの同調する一体感は、人に快楽を与え、やがて個々の深層心理に根を伸ばす。
そうして、やがてはあらゆる事柄に対して「偏見」を持っていくのだ。

それは究極的に事実を知ろうとしない、知りたくもない、そんな気持ちを生み出して、他者を否定しやすい人格を形成していく。

間違いなく、自分の人生をつまらないものにさせてしまうだろう。

他者の意見と己の思考を比べ、あるいは取捨選択し、唯一無二のアイディアへと昇華させていく。
これが人間だけに許された、至高の喜びの一つではないのだろうか。

思考は自由であるならば、一方通行な偏った物の見方は好ましくないと伝えたい。

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