コラム

「心の負債」が慢心を生み出す

 

不可視の行動力

世の中には数々の苦難を乗り越え、成果を出してきた人がいる。

また、豊かになる仕組みを知り、機転を利かせて到達した人もいる。

彼らの行動や心理は、群れの中で従順に秩序を守ってきた人間には、到底理解しえないことが多い。故に他者や周りと比較され、異質な存在に成り果てる。

しかし、現実は異質な彼らの方が裕福で、恵まれた生活をしている。承認欲求に囚われ、自分の豊かさを周りに自慢しなければ、心さえも豊かだと思う。

この背景にあるのは、周りからは理解してもらえない不可視の行動力、もとい努力の前払い」が原因だと考える。

成果のために人知れず行動すると、中々周囲からは見てもらえない。すると心は疲弊し、フラストレーションが募るばかりである。

 

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人間に可能な努力量とは

願望や夢を手にするとは、努力という名の通貨で、成果を買うことだ。

それは、人間が数多の壁を乗り越える過程で精神的な負荷を背負うのと同義である。

そして、この“負荷”をどのように受け止めるのかは、真に納得できる理由動機がなければ、成果に必要な努力が余剰に発生していく。

また、人間に可能な努力量とは、個人がどれほど成果に貪欲であるかで決まる。

自らを無防備に晒しだし、思わぬ気付きに感謝して手にした成果は、充実した達成感と美しくも清い心を紡ぎ出す。

しかし、心が成果に伴わず、自己の限界だけを超過した努力では、心が満身創痍になっていることが多い。

気がつくと心の家計は赤字になっている。

それでも成果に到達すると、幾分は心が満たされる。しかし、大抵の場合、それだけでは満ち足りず、心に負債を抱えているものだ。

 

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心に負債を抱え、自然と敵を作り出す

心の負債は返さねばならない。

だが、人の本能は成果のほかに、さまざまな欲求を渇望するから意地が悪い。

成果だけでは満たされない心は、「自分はこれだけの努力をしたのだ」という過去の成功体験を強調する。そうして“慢心”は生まれてくる。

やがて、慢心から連なるように過剰な『承認欲』『物欲』『性欲』『食欲』などが生み出されるのではなかろうか。

過剰な欲求はどこか他人を見下したり、自分の意見が絶対であると決めつけたがる。

この行動は意図したものではないが、自然と敵を作ってしまうのだ。

故に心が貧しい印象がある成功者とは、余剰な努力で発生した、心の負債を返済している最中である。

だからといって彼らの努力を知らずに、批判や誹謗中傷を平気で行う者は、妬みや嫉妬に狂ったルサンチマンでしかない。

 

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気付くことへの感謝

問題の中心になる「心の負債」とは、どのように対処すれば良いのだろう。

それは“気付くことへの感謝”だ。

無理してでも得ようとする成果には必ず価値がある。

だからこそ、ゲームプレイヤーとしての自覚が必要であり、そのような恵まれた機会に挑戦できることに感謝すべきなのだ。

ただ、求めている成果に対して努力量の限界を知るのは、覚悟を決めるためにも重要である。

己の弱さを認めながらも、足を止めなかったことは、世界中で多くの成功者に共通している。

目標に対して足を止めてしまったのであれば、その成果に対して本心から貪欲ではないし、情熱も足りないのだろう。

人間が戦う相手とは、他者や周りの者ではなく、常に自分自身なのである。

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