コラム

映像の歴史には影絵や幻灯機が存在している

映像の始まりが気になった

最近、映像製作を基礎から学び始めた。

学んだことを5日間かけて深掘りし、知識を一層深めながらプロの基準というやつに食いつこうと思ったのだ。

暫くは学習した中身を切り分けて、深堀りしたことへの気づきや学びをアウトプットしていこう。そんな調子で“映像の歴史”を調べてみると意外に歴史そのものが面白いと気づいた。

そこで原初になりそうなものが影絵と幻灯機だった。

 

影絵(かげえ)について

紀元前200年ごろのローマ歴時代、アメリカの北西部ではナスカ文化が栄え、日本列島では弥生文化の農耕社会が当たり前の時代。

中国では漢の時代において、神おろしの儀式“神降術(こうしんじゅつ)”として、影絵(かげえ)が用いられていた。

後の13世紀ごろになると、アジアの各地域にも影絵が広がっていき、村や民族の中でおとぎ話や神話の類を伝えやすくする表現にもなっていたようだ。

イギリスの科学史家であり、中国科学史の権威として有名らしいジョゼフ・ニーダムの研究では、2世紀ごろの中国では既に幻灯機(げんとうき)が登場していたという。

恐らく、後述する幻灯機はこれら影絵から発展していった可能性があるのかもしれない。ただ、それを裏付ける詳細な文献は、わたしの探求不足でまだ見つけていない。

しかし、光と影を用いた動きのある表現手法は、幻灯機の仕組みに通じる部分がある。それらを考慮すると、西洋の文化でも影絵を用いた娯楽などはあったと考えられそうだ。

 

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幻灯(げんとう)について

幻灯はガラス板に絵をかいたものを光を照らして写し出すものだ。

前述した通り、中国では2世紀ごろに幻灯機が存在していたという文献が見つかっているらしい。

どのような因果関係があるかは分からないが、西洋においては幻灯機の生まれるもとになった装置が15世紀以前から存在していた。

その装置はランタンを用いた画像の拡大装置である。

当然、現在知られている幻灯機の構造とは随所に違いが見られていた。

後の17世紀になると、西洋ドイツ人の学者であるアタナシウス・キルヒャーが、レンズとスライド機構を持った幻灯機を作った。

スライドショーの上映会が可能になったというべきだろう。

これがきっかけなのか、徐々にヨーロッパで幻灯機が広がっていく。

17世紀半ばに登場した幻灯機はヨーロッパを超えて、清王朝時代の中国にも渡ったとされている。

18世紀、数学者のピエール・ファン・ムッセンは、幻灯機が投影する画像を動かす方法を考案した。

これは、ファンタスマゴリアと呼ばれる複数の幻灯機を使用したショーで、幻灯機そのものを動かしたり、別の幻灯機に切り替えて悪霊の画像などを映し出す、幽霊ショーみたいなものだったらしい。

フランスのパリでヒットし、19世紀まで大流行したようだ。

 

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映像の始まりはソーマトロープと言われるが…

18世紀初頭にロンドンの学者がソーマトロープを開発する。

これは子供の工作で作るようなレベルの代物だが、人の視覚に残像が起こるのを確かめるために開発された。

さまざまな文献を調べてみても、映像の発端はこのソーマトロープを起源としているようだが、真実はどうであろう。

思うに、 幻灯機がなければレンズを駆使した像の投影もなかった気がする。

何せ、ソーマトロープが出現した時期は、ヨーロッパで幻灯機が普及した時期とも重なる。

ファンタスマゴリアとは少しずれるが、幻灯機そのものを動かして、像が移動する発想は誰かが試みていた可能性もありそうである。

学者のピーター・マーク・ロジェが、何を考えて「残像」の研究を始めたのかは分からない。

ただ、この時期に幻灯機がとても身近な物になっていたとしたら、そこからインスピレーションを受けていたのだろうか。

次はもう少し後の時代を追ってみる。

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