『Coe Font STUDIO(コエフォントスタジオ)』誰でも無料で使える音声合成

『Coe Font STUDIO(コエフォントスタジオ)』とは?

  • 誰でも無料で利用可能な合成音声
  • 簡単な操作で非常に高精度な音声を出力
  • 画像素材は自由に利用可能

 

 

『Coe Font STUDIO(コエフォントスタジオ)』について

『Coe Font STUDIO(コエフォントスタジオ)』はあらゆるクリエイターに向けて公開された、無料の合成音声サービス。

簡単操作で誰でも利用できるうえ、ヤマハ株式会社の提供する『VOCALOID(ボーカロイド)』にも引けをとらない優れた音声が特徴です。

キャラクターデザインを担当したのは、凪白みと氏。

 

 

公式ホームページの使用例では、動画の音声からプレゼンスライドの読み上げなど、幅広い活用方法が期待できます。

また、「配信などで音声を利用可能か?」という質問が複数寄せられており、公式ツイッターでは、『Coe Font STUDIO』の利用が第三者にわかるのならば問題ないとの回答。

動画で使用する場合は動画内に表示せず、概要欄などに記載すれば平気かもしれませんね。

 

無料公開されている音声は“アリアル”と、“ミリアル”の2キャラクター

ミリアル

サービスが開始してから、無料で利用できる合成音声は「アリアル」と「ミリアル」。

アリアルは落ち着きのある少し低めの声が特徴です。女性らしいやや高めの声はミリアルと、しっかり住み分けされています。

しかし、ミリアルはまだ調整中なのか、選択するとプロトタイプの記載がありました。

それでも、精度が高いのは変わらずで、流暢な日本語を読み上げてくれます。

 

 

利用方法はとても単純で、最大200文字のテキストを入力するだけです。

人工知能が、自動的に日本語の正しい発音に近づけて直してくれます。

ただ、どのように入力しても、すべてひらがなで出力される仕様になっているうえ、「う」という文字が「ー」で変換されます。

 

 

読み方やアクセントは訂正可能なので、入力、視聴を繰り返して、理想の発音に直していくのが基本になります。

 

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幅広いブラウザーに対応

 

 

公式によると、推奨環境はパソコン版のChrome、Safari、FireFoxということです。

OSに関してはmacやWindowsを問わずに利用できるのは嬉しい点です。

また、スマートフォンからの入力・出力も可能になっています。作成した音声はダウンロード可能で、「WAV」拡張子で保存されます。

容量は少し高めなので、注意したほうが良いかもしれません。

 

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◇ 参考URL

CoeFont STUDIO

 

 

映像の歴史には影絵や幻灯機が存在している

映像の始まりが気になった

最近、映像製作を基礎から学び始めた。

学んだことを5日間かけて深掘りし、知識を一層深めながらプロの基準というやつに食いつこうと思ったのだ。

暫くは学習した中身を切り分けて、深堀りしたことへの気づきや学びをアウトプットしていこう。そんな調子で“映像の歴史”を調べてみると意外に歴史そのものが面白いと気づいた。

そこで原初になりそうなものが影絵と幻灯機だった。

 

影絵(かげえ)について

紀元前200年ごろのローマ歴時代、アメリカの北西部ではナスカ文化が栄え、日本列島では弥生文化の農耕社会が当たり前の時代。

中国では漢の時代において、神おろしの儀式“神降術(こうしんじゅつ)”として、影絵(かげえ)が用いられていた。

後の13世紀ごろになると、アジアの各地域にも影絵が広がっていき、村や民族の中でおとぎ話や神話の類を伝えやすくする表現にもなっていたようだ。

イギリスの科学史家であり、中国科学史の権威として有名らしいジョゼフ・ニーダムの研究では、2世紀ごろの中国では既に幻灯機(げんとうき)が登場していたという。

恐らく、後述する幻灯機はこれら影絵から発展していった可能性があるのかもしれない。ただ、それを裏付ける詳細な文献は、わたしの探求不足でまだ見つけていない。

しかし、光と影を用いた動きのある表現手法は、幻灯機の仕組みに通じる部分がある。それらを考慮すると、西洋の文化でも影絵を用いた娯楽などはあったと考えられそうだ。

 

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幻灯(げんとう)について

幻灯はガラス板に絵をかいたものを光を照らして写し出すものだ。

前述した通り、中国では2世紀ごろに幻灯機が存在していたという文献が見つかっているらしい。

どのような因果関係があるかは分からないが、西洋においては幻灯機の生まれるもとになった装置が15世紀以前から存在していた。

その装置はランタンを用いた画像の拡大装置である。

当然、現在知られている幻灯機の構造とは随所に違いが見られていた。

後の17世紀になると、西洋ドイツ人の学者であるアタナシウス・キルヒャーが、レンズとスライド機構を持った幻灯機を作った。

スライドショーの上映会が可能になったというべきだろう。

これがきっかけなのか、徐々にヨーロッパで幻灯機が広がっていく。

17世紀半ばに登場した幻灯機はヨーロッパを超えて、清王朝時代の中国にも渡ったとされている。

18世紀、数学者のピエール・ファン・ムッセンは、幻灯機が投影する画像を動かす方法を考案した。

これは、ファンタスマゴリアと呼ばれる複数の幻灯機を使用したショーで、幻灯機そのものを動かしたり、別の幻灯機に切り替えて悪霊の画像などを映し出す、幽霊ショーみたいなものだったらしい。

フランスのパリでヒットし、19世紀まで大流行したようだ。

 

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映像の始まりはソーマトロープと言われるが…

18世紀初頭にロンドンの学者がソーマトロープを開発する。

これは子供の工作で作るようなレベルの代物だが、人の視覚に残像が起こるのを確かめるために開発された。

さまざまな文献を調べてみても、映像の発端はこのソーマトロープを起源としているようだが、真実はどうであろう。

思うに、 幻灯機がなければレンズを駆使した像の投影もなかった気がする。

何せ、ソーマトロープが出現した時期は、ヨーロッパで幻灯機が普及した時期とも重なる。

ファンタスマゴリアとは少しずれるが、幻灯機そのものを動かして、像が移動する発想は誰かが試みていた可能性もありそうである。

学者のピーター・マーク・ロジェが、何を考えて「残像」の研究を始めたのかは分からない。

ただ、この時期に幻灯機がとても身近な物になっていたとしたら、そこからインスピレーションを受けていたのだろうか。

次はもう少し後の時代を追ってみる。

「習慣化」させるフレームワークを考えてみる

 

“やりたいのにできない”を克服したい

物事を習慣化するのは無駄な消費を避ける効率的な手段だ。

「自由な思考」「自由な行動」、人生を謳歌するにはとても良いことだと思う。

だが、目標のある人には三日坊主になる要因でもある。

わたしも幾度となく習慣化と向き合ってきた。残念ながら継続できた試しがない。

だから、アプローチを根本から見直す必要があった。

始めに実践したのは「なぜ継続できないのか」その原因の追求である。

重要なのは哲学的な思考を巡らせることでも、心理学による根拠を見つけることでもない。

現実と向き合った、“心と体への正直な問いかけ”だ。

そもそもわたしが一番好きなことは“好きなときに好きなことをやる”だ。

ただ、他者と関わる仕事は義務感を生じるため、さっさと終わらせるべきだと理解している。

ぼんやりと継続できない理由を思い返すと、やるべきことやりたいことが混同し、実際に何から手を付ければ良いのか分からないことが判明した。

時間は有限だし、自由気ままに消費するほど今は余力がない。

“やるべきこと”と“やりたいこと”を分けて、習慣に取り入れる。さらに優先順位をつけて、有効に時間を使おうという算段だ。

 

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優先順位とその理由を明確に

まずは習慣化したいことを三つ絞り込む。

その後優先順位とその理由を書き出した。

なぜ三つなのかは後述しよう。

 

[st-rank rankno=”1″ bgcolor=”” color=”#000″ bordercolor=”#ccc” radius=”” star=””]1位.仕事[/st-rank]

[st-rank rankno=”2″ bgcolor=”” color=”#000″ bordercolor=”#ccc” radius=”” star=””]2位.ブログ[/st-rank]

[st-rank rankno=”3″ bgcolor=”” color=”#000″ bordercolor=”#ccc” radius=”” star=””]3位.DTM[/st-rank]

 

【1位.仕事】

自分の努力で貰えた仕事は大好きだ。仕事をくれる人にはとても感謝をしている。

経験と実績にも繋がるし報酬も貰える。納得の1番目だ。

(営業活動・執筆活動・広報活動と、どれもインターネットで行える。)

 

【2位.ブログ】

最初は仕事用ポートフォリオと、広告収入を狙って始めた。

いつしか収入を得ることが動機になってしまい、“ネタ探し”に疲れ果てて習慣化できなくなった。

モチベーションが下がってしまったのだ。

取り扱うジャンルやデザイン、SEOの見直しをしたがやはり続かない。

ここでも根本から向き合うことにした。

「今のわたしはブロガーを目指している訳ではない。だから、学んだことをアウトプットする場所にしよう」

それからコラムのジャンルを設け、日々募る思いを発散する場所にした。

考えがまとまらないときは、書き出す行為がとても役立つのは知っていたし、自然と実践していた。

すると、ストレスを発散するかのように続けられる。

だから2番目にした。

 

【3位.DTM】

父は音楽が好きがエレキギター、シンセサイザーを頻繁に嗜む。

わたしが小学生5~6年から中学1~2年ごろ、平日にもかかわらず、
深夜の飲み屋街を父と渡り歩いたものだ。

父は友人の経営するスナックやバーなどで、バンド活動をしていたからだ。

彼は縛れるのが嫌で、パン工房の仕事から趣味の仕事にシフトした。

そんな姿にどこか憧れていたのかもしれない。わたしも音楽が好きだ。

カラオケに行くのも好きだが、一番好きなのはTVゲームの後ろで流れるような「BGM」である。

物語に対し、想像力豊かな発想で世界観を紡ぎ出す。

歳を重ねると、自分が嗜んだそれらの音楽を自分の解釈で編集してみたい欲求が沸いた。

いつかは、一からの作曲にもチャレンジしたい。

ささやかな願望を実現するため、少しでも触れたいので3番目。

 

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習慣というのはタスクと言ってもいい。

ただ、自分の限界値を超えると毒になる。キャパシティを把握しておくのは重要なのだ。

思い返せば、作業量が多すぎたのがいけないのだ。

わたしが許容できる物事は三つが限度。それに伴い、夕方から翌朝にかけてのタスクも三つにした。

人間は「3」という数字が好きである。最も覚えやすい数が三つということであろう。

思い返して欲しい。色は三原色、人間の三大欲求など、あちこちに「3」は存在している。

そう考えると、どんな数字よりも「3」の価値はありそうだ。

勝手な思い込みかもしれないが…。

 

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習慣をつくるルール決めと、理想とのギャップ

  1. 優先順位は毎週日曜日の寝る直前に再考しなおす。
  2. 優先順位にしたものはタスクとして考える。また、タスク外の主体的な行動は全て「娯楽・趣味」として考える。
  3. 緊急の要件、最優先の作業が発生した場合は、解決に全力で取り組むこと。完了後の時間は「娯楽・趣味」にする。

三つのルールは厳守。そして、それが何日続くかを記録する。

一日でも守れなかったら「原因」「仕組み」を再考する。

目標はまず一週間だ。その後、二週間と期限を伸ばし続けていく。

目標の期限を忘れたころにまだ継続していれば、習慣化しているとみて良いだろう。

次にポジティブとネガティブな未来像を考えて、やらなければならない義務感を創り出すことにした。

 

 

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達成した未来と達成できなかった未来

わたしの行動指針は基本的には変更がない。
せいぜい夜勤の仕事が最優先作業になるくらいだ。

ここで、三つの行動指針を継続して達成した場合の未来、そうでない未来を書き出してみた。

 

【達成した未来】

1.仕事=実績と収入が比例して上がる。仕事の能力も向上する。
2.ブログ=コンテンツが増える。集客しやすくなり、広告収入も増える。
3.DTM=DTMソフトの使い方やMIDIに慣れて、好きな曲を演奏できるようになる。

 

【達成できなかった未来】

1.仕事=実績は増えず相対的に収入は下がる。仕事の能力も低下し、クライアントの信用も得られない。
2.ブログ=コンテンツも収入も増えず、サーバー代とドメインの費用だけかかる。
3.DTM=使い方を覚えられず、能力は何も身につかない。音楽を聴くだけで終わる生活に戻る。

 

ポジティブな未来とネガティブな未来は、+と-の間に生まれたギャップを意識できる。

ギャップが大きければ大きいほど、義務感を生み出して自然と人にコミットメントさせる。

現実的な充実感と嫌悪感はまさしく光と闇であり、人が新しいことに挑戦するのも、自然とこのギャップを感じているからだ。

書き出したら毎日読むこと。

これで潜在意識から改革していこう。

「余裕」を持つこと

多忙な日常が神経をすり減らす

多忙な日常を繰り返すサイクルの中で、人間の心はどこか摩耗していくものだ。

神経をすり減らし、本心ではやりたくない仕事も、自ずと進んで勝ち取らなければ、自分の居場所さえ失くしてしまう。

そうした生活を続けると、一時の安らぎに多くの見返りを求めてしまいがちだ。
「寝たい」「遊びたい」「何もしたくない」

心身にマイナスの負荷をかけていくほど、本能はプラスの欲求を渇望する。

そのサイクルに蝕まれたときの休息には、どこか罪悪感にも近いものを感じてしまう。
「本当にこれで良かったのか?」と。

どこかで疑問を持ちながら自分を正当化するのだ。

 

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堕落への恐怖

わたしはやりたいことが数多い。それでも毎日大きな不安を積み重ねて生きている。

どこかで“余裕”を持つのは、人が人らしく生活をするために必要なことだ。

ただ、特別秀でた才能がなければ知恵も学歴もない。

毎日金銭的な不安と向かい合い、己の心を抑制している。

正直誰よりも野生の人間として生きている実感を得られるが、満足はしていない。

それは心に余裕を持つ暇がないからなのかもしれない。

いつかは人並み以上の生活と、心の安寧が欲しい。

懸念があるとすれば、この生活から抜け出したとして、その反動でどれだけ自分が堕落してしまうのか。

負荷があるから、成長意欲も沸くものだ。
“楽”を知っているからそれが怖い。

“余裕を持つ”とは、負荷の中に自分が堕落しないオアシスを見出すことなのか。どのような解釈にしろ、一概に定義づけるのは難しい。

仮にオアシスではなくても、目標のために必要不可欠な要因であったのならば、だれもが自然に自分を肯定できるだろう。

「心の負債」が慢心を生み出す

 

不可視の行動力

世の中には数々の苦難を乗り越え、成果を出してきた人がいる。

また、豊かになる仕組みを知り、機転を利かせて到達した人もいる。

彼らの行動や心理は、群れの中で従順に秩序を守ってきた人間には、到底理解しえないことが多い。故に他者や周りと比較され、異質な存在に成り果てる。

しかし、現実は異質な彼らの方が裕福で、恵まれた生活をしている。承認欲求に囚われ、自分の豊かさを周りに自慢しなければ、心さえも豊かだと思う。

この背景にあるのは、周りからは理解してもらえない不可視の行動力、もとい努力の前払い」が原因だと考える。

成果のために人知れず行動すると、中々周囲からは見てもらえない。すると心は疲弊し、フラストレーションが募るばかりである。

 

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人間に可能な努力量とは

願望や夢を手にするとは、努力という名の通貨で、成果を買うことだ。

それは、人間が数多の壁を乗り越える過程で精神的な負荷を背負うのと同義である。

そして、この“負荷”をどのように受け止めるのかは、真に納得できる理由動機がなければ、成果に必要な努力が余剰に発生していく。

また、人間に可能な努力量とは、個人がどれほど成果に貪欲であるかで決まる。

自らを無防備に晒しだし、思わぬ気付きに感謝して手にした成果は、充実した達成感と美しくも清い心を紡ぎ出す。

しかし、心が成果に伴わず、自己の限界だけを超過した努力では、心が満身創痍になっていることが多い。

気がつくと心の家計は赤字になっている。

それでも成果に到達すると、幾分は心が満たされる。しかし、大抵の場合、それだけでは満ち足りず、心に負債を抱えているものだ。

 

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心に負債を抱え、自然と敵を作り出す

心の負債は返さねばならない。

だが、人の本能は成果のほかに、さまざまな欲求を渇望するから意地が悪い。

成果だけでは満たされない心は、「自分はこれだけの努力をしたのだ」という過去の成功体験を強調する。そうして“慢心”は生まれてくる。

やがて、慢心から連なるように過剰な『承認欲』『物欲』『性欲』『食欲』などが生み出されるのではなかろうか。

過剰な欲求はどこか他人を見下したり、自分の意見が絶対であると決めつけたがる。

この行動は意図したものではないが、自然と敵を作ってしまうのだ。

故に心が貧しい印象がある成功者とは、余剰な努力で発生した、心の負債を返済している最中である。

だからといって彼らの努力を知らずに、批判や誹謗中傷を平気で行う者は、妬みや嫉妬に狂ったルサンチマンでしかない。

 

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気付くことへの感謝

問題の中心になる「心の負債」とは、どのように対処すれば良いのだろう。

それは“気付くことへの感謝”だ。

無理してでも得ようとする成果には必ず価値がある。

だからこそ、ゲームプレイヤーとしての自覚が必要であり、そのような恵まれた機会に挑戦できることに感謝すべきなのだ。

ただ、求めている成果に対して努力量の限界を知るのは、覚悟を決めるためにも重要である。

己の弱さを認めながらも、足を止めなかったことは、世界中で多くの成功者に共通している。

目標に対して足を止めてしまったのであれば、その成果に対して本心から貪欲ではないし、情熱も足りないのだろう。

人間が戦う相手とは、他者や周りの者ではなく、常に自分自身なのである。

「自己啓発」が成果にならない理由とは

著名人のセミナーに参加したり、自己啓発本を読んでも行動に中々移せない。

この理由には、体験している側の心が真に揺さぶられていないからだ。

それは受け取ったメッセージに“感情が追いついてない”ともいえる。

わたしたちの日本社会では、規律を守り、場の空気を読むような協調性が徳とされてきた。故に正直で感情的な反応ができる人も少ない。

そして昨今では、行き場のない感情やストレスをSNSで満たす構図が日常風景だ。

この習慣こそ、現実問題に直面したとき、内なる感情を押し殺してしまうのである。

 

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日本は社会的な高齢化が進む一方で、国の制度が頼れなくなってきた。

政府も副業を解禁し、国民たちが自分で生き抜く術を身に付けるような人の在り方にシフトしてきている。

つまり、わたしたち現代社会を生きる人々は、社会的にも独立した個を確立するため、チャレンジという機会を与えられたのかもしれない。

そこに気づいた人は、人脈形成のためにコミュニティを求めたり、手堅く収入の足しになるビジネスを始めたりと活動的である。

ただ、「大きな成果を上げたい」「継続する力を身につけるヒントが欲しい」そんな答えを探すように、セミナーや自己啓発本を読み漁る人が多い。

残念ながら、その効果が中々実らない。

「確かに心に来るようなメッセージがあった」「スピーチに共感した」こればかりである。

世界的なハリウッドスターから政界の大物、皇族まで豊富な実績を持つ、アンソニー・ロビンズという講演者がいる。

彼は一日12時間の講演を6日間も続ける大規模なセミナー『Date With Destiny(通称:DWD​)』を開催することでも有名である。

そこでは1人ひとりの過去や悩みに着目し、彼らの変わりたい欲求に感情面からアプローチをかけていく。

他のセミナーとの大きな違いは、意識の殻を根底から破るために、“タブーとされる言葉”や“過激な言葉”を扱う。

500,0ドルの参加費用と、旅費代金を支払い参加する者は、全世界中から後を絶たない。

多くの人たちがこれまで築き上げた価値観や倫理観を、たった6日で破るためには必要なことなのだろう。

参加者の抱える悩みはどれも深刻なものばかりで、グローバルなセミナーだからこその現実がそこにはある。

しかしアンソニーが与えるのは悩みの解決策ではない。

自分自身の成長欲や、己の正しいとする本心を勝ち取るための、感情的なエネルギーだ。

セミナーの運営に携わるトレーナーは、「アンソニーは感情をデザインする力がある」と話す。

信念を抱えて、人生に立ち向かうためには、自らの“本心”だけではなく、“感情”とも向き合う必要があるのだろう。

だから、自分がそうするべきだと理解しているときに行動しないのは、本心からの感情を押し殺してしまっているかもしれない。自分が直感的に正しいとことなのだと思えたのならば、行動に移すべきなのだ。

そして、“行動に中々移せない”と感じたら、それは時すでに遅い。

自己啓発が成果にならないのは、成果になると感じている自分がいないか、あるいは信じていないかにほかならないだろう。